作/太田省吾 演出/金世一(キム セイル)
会場:ももちパレス大ホール
チケット料金:2.500~4.000円
上演時間:150分
公演の説明
劇作家:太田省吾が転形劇場時代に生み出した沈黙劇の代表作。
1981年の初演以降、国内外24都市で上演。
2021年、福岡で地元の俳優を多数起用して再構築。
翌年のポーランド公演も計画している。
あらすじ
水の駅は
「建前では人間の尊厳・生命重視を語るが本音では疑いと不信のフィルターを通じて互いを見つめてあっている昨今の現実」
それに対する問題提起からスタートするこれは「言葉」ではない「沈黙」を通じて、観客に伝わりこの沈黙は「隠すための沈黙ではなく共有するための沈黙」
都市の捨てられた生活廃棄物が山をなしているところに置かれた水道。
取っ手の壊れた蛇口から絶えず流れ続けている水
そこをすれ違う人々の不安、痛み、孤独と死
口から発する言語を捨てた沈黙の舞台では、人間の生活の本質的な叫びが広がる耳で聞く客観的に概念化された言語ではなく五感を通じて直感的に染みる言語が観客の「呼吸」を惹きつける
1981年、太田省吾が属していた劇団転形劇場での初演以来、国内外で高い評価を得て、上演が重ねられてきた「沈黙劇」の傑作を
“いま”に新たに立ち上げる。
キャスト
大恵彩乃 進藤裕行 陣内幸史郎 鈴木みらの 竹内真菜
坪内陽子 戸澤真治 富田文子 濱吉清太朗 ひらな唯夏
福田剛昌 福地涼 本家徳久 松永檀 丸林孝太郎
宮木秀明 山下晶 山本由貴 吉田智恵 酒瀬川真世
以下:雑感
ゆっっったりと、じっっっくりと流れる時間。
一つの地点から全体に意識を巡らす、不思議で濃密な空間でした。
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舞台はももちパレス大ホール。
ガラクタだらけの採石場のような場所。
真ん中に水飲み場があり、本水が出っ放し。
足洗い場のような溜まりがあり、一畳分くらいのスペースに常に水が溜まっている。
何人もの旅人が旅の途中その水場に立ち寄る。
シモ手の花道から入り、水飲み場、カミ手の捌け口へ。一連の人々の旅路を見守る2時間半。
開演前は撮影可だったので一枚。こんな感じ。荒廃した世界、砂漠の世界という印象。
水が貴重な世界なのかな。
キャスト陣の旅人ルックもどことなくスチームパンクテイストでノスタルジーで素敵。
客席は一つ飛ばしでほぼ満席。
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2時間半。なっがい!!最初聞いた時正直引きましたが、
終わってみれば中弛みすることもなく、不思議な充足感がありました。
全編台詞一切無しの「沈黙劇」。
音もなくシームレスに始まった芝居はひとりの女性から。
お、おぉ始まってる。と思ったら、す〜んごいゆっっっっっくり。
芝居は全てスロ〜〜〜〜〜モーション。
もうすんごいゆっっっくり。
シモ手花道から入ってセンターの水場に行くまでに15分くらいかかってた。マジで。15分。
色んな意味で「マジかよ」と思いつつ、気づくと、ジっと見てしまいました。
大きなエネルギーがゆっくりと動いているような感覚。
象とか見てる感覚に近かったかも。
こんな演劇もあるのか。なんというかすごく贅沢でしたね。
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ホール内では絶えず水の流れる音(水が水を叩く音)が響いていてる。
人間たちは旅の途中で水場で脚を止め、水を飲んだり、身体を洗ったり、遊んだり、まぐわったり(!)。それらを覗いていたり。などなど。
それぞれにこの「水の駅」に立ち止まっては通り過ぎていく。
また、その場に流れる水流も人と触れ合う度にその流れを止め、劇場に静寂が訪れる。
水にとっては人体こそが「駅」となる。ということでしょうか。
二つの意味での「水の駅」。なるほどなぁ~~~~。深い。(←浅い)
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「流れ」の話だったのかな、と。
水流という意味でももちろん。また、自然科学的な面での水の循環。
雲から雨、雨が川になり海へ。そしてまた雲となり雨として…。という、水の廻る流れ。
その流れの一つひとつが「駅」であり、人間もまた流れの中の一つの駅。
人間もこの世界の大きな流れの中に組み込まれている。そして人間の身体の中でも水は廻る。
同時に人生という流れ。
個人単位のスケールから夫婦、家族、またはそれ以上の集団、社会。
それぞれが営む生活の中には「水」が不可欠であり、歴史的に見ても水辺から文明は起こったといってもよい。生命もまたしかり。
人間が立ち止まり、また寄る辺とする「水の駅」での過ごし方は様々。
今回特に見せられたのって人生の場面のチャプターだったのかも。
普通に飲み水として。死に際のお清めとして。身体を洗ったり、遊んだり。
そういえば人類の一番最初の遊び道具って”水”だったらしいですね。うるおぼえですが。
性行為も、命を生む行為としてとらえれば劇中で老婆の死と対比して意味合いがわかりやすいかも。
素直にエロかったし、美しい場面だった。
あそこで客席の緊張感の高まりを感じてちょっと笑ってしまいましたが。
ラストに一日の始まりの「歯磨き」で終わり、また冒頭の少女の登場で一巡。
最後俳優さんが変わっていたのも、一つの歴史の循環。ということなんでしょうか。
日常の何気ない場面も人生という大きな流れの中の一つ。
その流れの止まる所が水の駅。
止まる一点を見ることで、その向こうの巨大なモノまで感じ取れた気がします。
一は全。全は一。
う~ん。凄い。
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日ごろ矢のように過ぎていく生活ですが、
極端なスローモーションで見せられることで、強く一つひとつの挙動を意識できた気がします。
次第に意識は舞台上から自分自身まで延びてきていて、
舞台を観ることで自分自身とも向き合えたというか。
観劇中にあんなにじっくり思考したのって初めてかも。
明言しがたい、とても貴重なものを得られたような気がしています。
“感じさせられた”と言ったほうが正しいのかも。演出家さんの手腕ですよね。これまた凄い。
素晴らしい観劇でした。
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コロナの中でのこの「沈黙」は一つの安心要素でもあり、この劇はどんな場所でも必ず伝わるものがある。
そう思わせてくれました。
ポーランド公演も無事成功しますように。祈ってます。