作・演出/前川知大
会場:東京公演 2021年5月28日-6月20日 シアタートラム
大阪公演 2021年6月26日、27日 サンケイホールブリーゼ
豊橋公演 2021年7月3日 穂の国とよはし芸術劇場PLAT主ホール
北九州公演 2021年7月11日 北九州芸術劇場中劇場
チケット料金:3.500~6.000円(配信チケット:2.000円)
上演時間:約120分
公演の説明
劇団「イキウメ」の2020年の新作公演。昨年全公演中止になっていたが2021年、同じ会場で無事上演された。配信で観劇。
あらすじ
同級生の寺泊満と山鳥芽衣は、偶然同じ町に住んでいることを知り、二十数年ぶりの再会を果たす。
しかし二人には
盛り上がるような思い出もなかった。
語り合ううちに、お互いに奇妙な問題を抱えていることが分かってくる。
寺泊はある手品師との出会いによって、世界の見え方が変わり、妻が別人のように思えてくる。
新しい目を手に入れたと自負する寺泊は、仕事でも逸脱を繰り返すようになる。
芽衣は品名に「無」と書かれた荷物を受け取ったことで日常が一変する。
無は光の届かない闇として物理的に芽衣の生活を侵食し、芽衣の過去を改変していく。
二人にとって、この世界は秩序を失いつつあった。
日常生活が困難になっていく寺泊と芽衣は、お互いが理解者であることを知る。
二人はこの混沌の中に希望を見出そうと、街中に広がった無を見つめる_。
公式サイトより
キャスト
寺泊 満(宅配便ドライバー)…安井順平
山鳥芽衣(行政書士補助者)…池谷のぶえ
山鳥士郎(芽衣の弟、スポーツクラブ勤務)…浜田信也
寺泊洋子(満の妻、生花店オーナー)…豊田エリー
日比野清武(芽衣の上司、行政書士)…盛 隆二
島 忠(満の弟)…薬丸 翔
山鳥聖子(芽衣の母)…清水 緑
山鳥三太(芽衣の部屋に現れた男)…大窪人衛
時枝 悟(喫茶店マスター、手品師)……森下 創
以下:雑感
とてもよかった。「世界」と「自分」に思いを馳せる。
自分ってなんだ。世界ってなんだ。
それを考えてる「自分」はどこから始まったんだろう。
*****
舞台はカフェ?もしくは古い駅の待合所のようなイメージ。「千と千尋の神隠し」の入り口みたいな。
舞台奥に壁いっぱいの格子窓。真ん中にカフェテーブル。と椅子がたくさん。
本棚や観葉植物など。
初っ端から不穏全開。
響く風の音。大窓の外を”何か”が通り過ぎていく。
「結構近いね」という台詞から、その”何か”は日常的な物のようだ。
基本的にはセンターのテーブルに座った二人の会話。
キャストはほぼハケず、場面に関わらない者も常に舞台上にいる。モブを演じたり、身体表現でいろいろしたり。
なんか変な感想ですが、濃ゆいSFの空気の中でも”演劇”が見れてなんだかホッコリしました。
同じ空間にいながら、会話で時空や場面がシームレスに切り替わるのがドキッとする。
同時に卓越した演劇力を感じます。シンプルに感動してしまった。
*****
哲学的、というよりまさしく「哲学」の話だったように思います。
認知や実存に疑問を呈していく。自分が常識だと思っていた構造や概念の足元が揺らいでいく感覚は、
ゾワゾワして恐ろしいながらも不思議なワクワク感があります。
ニュートンもリンゴが落ちるのを見た時こんな感覚だったんでしょうか。
ニュートン疑似体験というか。
「気づき」を味合わせてもらった気がしました。
*****
物語は大きく、
宅配ドライバーの満(安井順平)のエピソードと、行政書士補助者の芽衣(池谷のぶえ)の二人のエピソードで進行する。
満のエピソードでは既存の構造や、ルールに対する疑問。というか、新しい視点について。
芽衣のエピソードでは認知と実存について。
が主にテーマだったのかな。
両方を見て思ったのは、これは認知症を”患った側”の視点の話なんだろうか。ということ。
これまで認知症を扱った物語では周囲の人の苦悩などが描かれていることが多かったですが、
当の本人からすると滅茶苦茶恐怖だろうなっていう。
芽衣のエピソードで、作中では芽衣の周りがいきなりおかしくなったように感じますけど、
芽衣の話の序盤で本人や弟がお母さんにしていた態度と実はおんなじですよね。
17歳になってしまったお母さんも同じような恐怖を味わっていたのかも。
暗闇の”数学的空間”の描写では「インターステラー」を思い出しました。
身体表現の手すりの描写も楽しくていい。
*****
自分がいつからそこにいるのか。自分の存在に気づいたのはいつなんだろう。
三太(大窪人衛)とのやり取りの中で、BLEACHの番外編の、日番谷の誕生日の話を思い出しました。
自分の誕生日について。
いつ産まれたか知らないけど、一番信頼する人から言われた日を誕生日だと信じているだけ
というやつ。
結局人間たちは(自分は?)他者からの認知や周辺情報から実存を確定させるしかない。ということ?
突き詰めるとフニャフニャな構造のこの世界(自己)は、愛情や信頼でぎりぎり成り立っているということなんでしょうか。
美しいけどちょっと怖くなります。
*****
結局、序盤の黒いモノ(無)が飛び交うところは、
「見えた」人たちの行き着く駅のホーム?待合所?ということか?
新たな認知のステージに向かうところなのかなぁ。別次元というか。
二人だけでなく周囲の人々も、満や。
「無から有を生み出す」”想像力”という人間のパワーの正と負の面をじわりと突きつけられたような感覚です。
外の世界に意識を向けること,内の自分に意識を向けることは、両方が伴ってバランスを取っておくことが大事なのでしょうか。
という私のとりあえずの結論です。
観た人それぞれの、さまざまな答えが生まれそうな。多層的で味わい深い物語でした。